Lost in Translation: An Asperger in Tokyo zashikiwarashitanのブログ

アスペルガーである自分が、座敷わらしのように自分を歓迎して大切にしてくれる数少ない人々に繁栄と幸福をもたらす存在になって、残りの人生を有効に生きるため、日々試行錯誤したことを記録するただの自分用ノート代わりの日記

日本の大学を卒業した筆者が、コネクションゼロの状態から、アメリカの大学への留学を挟まずに、NASAへの就職を果たした過程

日本人がNASAで働くには|大丸 拓郎|note

 

印象に残った箇所:

  1. 日本人で、アメリカの大学にも通っていない、アメリカの永住権も持っていない僕がNASAの研究所で働くなんて簡単なことではないと容易に想像できたので、ある種 ”裏口入社的に" JPLに近づかなければいけないと考えていた。そのためにはまずJPLのしかるべき人と知り合いになる必要があった。

  2.  

    少しでも僕の研究を記憶に残して欲しくて、夜遅くまで練習し発表に臨んだ。プレゼンはうまくいき、会場からの質問も多かった。その勢いのまま、セッションの間の休憩時間に、勇気を出してGに声をかけた。

  3.  

     

    一番重要なファクターは人間

  4.  

    それに自分からは見学を頼んだのに、いま日本に来ているゲストをもてなさないのはフェアではないと思った。「それは助かる」と言われたので同行した。

  5.  

    しつこく思われると嫌だったので観光中はJPLの話はしないようにしていたが、そこではGの方からJPLで働いているときの様子を話してくれた。

  6. 印象に残っているのは、キュリオシティのような壮大なミッションを成功させるために一番重要なファクターは何かと聞くと、即答で「人間。ミッションを成功させるためにはプロジェクトメンバーが団結してモメンタムをもって挑まなければいけない」と言っていたことだ。

  7.  

    自分の売り方を考える

  8.  

    恥ずかしながら大学院に入るまで、アメリカの大学や大学院に留学するという発想がそもそも無かった。どうやったらJPLに入れるか考え、いろいろと調べる過程で、日本の大学の学部を卒業してアメリカの大学院に進学している人たちがいる事を知った。

  9. 今からアメリカに渡って大学院に入り直してJPLを目指すよりも、このまま日本で地道に実力をつけ、海外コミュニティにも顔を売り、存在感を確立していくことで、スペシャリストの外国人として自分を売っていったほうが早くJPLにたどり着けるのではないかとイメージしていた。英語の力については日本にいても鍛えることができる。

  10.  

    ポスドクの期間が必要だと思ったのはアメリカの大学を卒業していないので、実力の保障になるものが乏しくJPLとしても急には採用しにくいだろうと考えたからだ。

  11.  

    JPLのエンジニアたちとも学会で交流を続け、コネクションをさらに強くすることも怠らなかった。

  12.  

    「卒業後に自分で研究費を持っていくのでポスドクとして受け入れてもらえませんか?僕が持っている数値モデリングのスキルはJPLがやっている研究開発にもすぐに応用できると思います。」と打診してみた。

  13.  

    フラれた

  14.  

    日に日に自信は増していき「JPLでも十分にやれる」と確信に近いものを感じ始めた。そこで思い切ってEにお願いをした。
    「ドクターを卒業したらJPLで働きたいです。職員として雇ってもらえませんか?」
    Eはしばらく考えた後、こう答えた。
    「個人的にはタクのことを今すぐにでも雇いたい。しかし我々の部署で前例がないし、雇うための予算も我々のプロジェクトだけでは足りない。だから難しいと思う。」

    絶対にOKしてもらえると思って告白したのにフラれたときの心境といえばわかってもらえるだろうか。こんなに成果を出し、実力を証明しているのに、受け入れてもらえなかった。みんな認めてくれているじゃないか。やはりアメリカの大学を出ていないとだめなのか。

    それはショックだったが、いつまでもへこんではいられない。気を取り直して再び研究に集中し、インターンの間にまとまった成果を残そうと頑張った。そうすれば将来またチャンスが巡ってきたときにプラスに働くはずだ。

  15.  

    いま振り返ってみるとGにもEにも一度ずつフラれている。でもその度あきらめずに粘り、ギリギリのところで可能性を繋げ、就職までたどり着いた。

  16. 自分の夢や目標を達成するために本質的なことは、具体的なアプローチを考え、どんな環境にいたとしても目の前にある自分がやるべきことをやる、そしてチャンスが巡ってきたときにベストを尽くす、ということなのだろう

  17.  

    夢はまだ始まったばかりだ。