Lost in Translation: An Asperger in Tokyo zashikiwarashitanのブログ

アスペルガーである自分が、座敷わらしのように自分を歓迎して大切にしてくれる数少ない人々に繁栄と幸福をもたらす存在になって、残りの人生を有効に生きるため、日々試行錯誤したことを記録するただの自分用ノート代わりの日記

累犯障害者

www.amazon.co.jp

 そうそう!そうだったんだ!と思う箇所めっちゃ多かった。

 

印象に残った箇所:

  1. 知的障害と犯罪動因との医学的因果関係は一切ない。それどころか、ほとんどの知的障害者規則や習慣に極めて従順であり、他人との争い事を好まないのが特徴だ。ただ、善悪の判断が定かでないため、たまたま反社会的な行動を起こし検討された場合も、警察の取り調べや法定において、自分を守る言葉を後述することができない。反省の言葉も出ない。したがって、司法の場での心証は至って悪く、それが職業に対する逆インセンティブになっている。
  2. 外は緊張するし、家は怖かった。
  3. 羨望といじめは、表裏一体であるものだ。時として、うらやましさは妬みへと変わる。
  4. 無銭飲食は詐欺罪。
  5. 警察官や人様には平気で金銭を無心するが、父親には決して援助を求めない。家族関係は、本当に円満だったのだろうか
  6. 親は、全く金銭管理ができない。あればあるだけ、浪費してしまう人物だった。
  7. 闘病生活にある娘をアルバイトに出し、その収入をあてにする。いったいこの親とはどういう人間なのか。子供たちに対しては、かなり厳しかった。
  8. 親戚演者との付き合いは、親による金銭トラブルが原因で、全て絶たれているような状態だった。周りには、頼るべき人間が誰もいなかった。
  9. 高額医療費の場合、支払い後、本人口座に超過分が還付されるが、それもすぐ、引き出されてしまう。貧困のどん底だった。
  10. 障害者手帳を所持していなかった。したがって、障害者基礎年金も受給していないし、医療費免除の対象者にもなっていない。当然、生活保護も受けていなかった。その手続きの方法どころか、制度そのものを知らなかったらしい。
  11. 親も本人も、制度の中身などまるで理解していないのだ。
  12. 全く福祉の手が差し伸べられなかった。行政の目も届かなかった。
  13. 休日や放課後に友人と遊ぶこともなかったらしい。個人旅行の経験など、ただの1度もなかった。自我を消し去り、家族のために生き続けた。
  14. はじめは誰にも心を開かなかったあの子がな、声をあげて笑うようになったんだ。
  15. 強い自責の念にとらわれていた。
  16. 「友達になりたかった」と繰り返すのみだった。
  17. 自閉性障害などの広汎性発達障害の人は急激な変化に対応できず、すぐにパニック起こしてしまうという特徴を持っている。そうなった場合、記憶の欠損が生じることもある。
  18. 人間にとっての反省とは、一体何なのか。まず考えられるのは、成長する過程で学習した関西と言う概念に基づき、それを言葉や態度で表すことである。人間社会においては、反省を自己に留めておくのではなく、他者に伝えることが求められるからだ。しかし、果たして反省が、体系的表現によってのみ判断されているものなのか。反省とは本来、心の中で起こる内面的現象を指すものではなかろうか。
  19. 多くの知的障害者は、他人とのコミニケーションを苦手としている。人との交流を通して身に付けるほどの倫理的基準が、知識としてなかなか備わらない人たちだ。よしんば反省にたどり着いたとしても、その意思を外に向かって発信するスキルがない。
  20. 他人からの言葉に影響を受け易く、ときには自分の記憶よりも人の話の方が優先し、その結果、現実とフィクションとが混同してしまうのだ。
  21. 彼らは知的障害者の多くは、他人との会話の中で相手と自分との力関係を鋭敏に感じ取っている。そして、相手が「怖い人」だと察すると、叱責されることや判断されることを恐れ、ただただ迎合的な受け答えに終始してしまう。相手に言われるがまま、平気で事実とは異なる発言をし、それが彼らにとっての現実となる場合もあり得るのだ。たとえ荒唐無稽な話であろうと、いとも簡単に頭の中に貼り付けられる。
  22. 「精神病の薬を飲みすぎて、本当に頭がいかれちゃってるかも」本来なら必要なのは福祉的ケアであって、医学的治療など必要ないのである。
  23. 成年後見制度とは判断能力が不十分な人を後見人が保護支援していく制度であり、これが認められれば、財産管理や生活上の様々な契約にも、後見人が本人に代わって行うことができる。
  24. 障害者たちの名前を勝手に使い大量の携帯電話を購入するなど、名義が悪用されることが頻繁にあったようである。
  25. 福祉の枠の外にいる障害者。それは、今の日本社会ではどうしても軽んじられる存在となってしまう。
  26. 家族に見捨てられた彼ら、福祉に見放された彼ら、ヤクザの食い物にされる彼ら。最終的に彼らは、司法によって社会から追放され、塀の中の住人となっていく。
  27. 現在の社会に彼女たちの居場所は他にどれほどあるのだろうか。人間としての存在を自覚し、その喜びを実感する場面が、果たしてどれくらいあるのだろうか。
  28. 別れ際、私が「作業所での仕事、頑張ってください」と声をかけると、彼女は虚空を見つめ、ふとつぶやきを漏らした。「でも、今の私ってほんとに人間なの?」
  29. 聾唖者が用いる手話は日本語とは別の言語であって、健常者が学習する手話に比べる、文法や表現方法に大きな違いがあるのだそうだ。生まれながらの聾唖者には外国語のように思えてしまい、非常にわかりづらいものだと言う。
  30. ろうあ者の手話の場合、実際には手以外の動作が文法上極めて重要な役割を果たしているのだと言う。それは、体や頭の向き、顎のひき方、唇の形、視線の方向、眉の上げ下げ、瞼の開閉といった動きであり、こうした動作と手の動きとを組み合わせて、初めて意味を成す言葉となるようだ。しかも、動作の大きさや速さの違いが語意を変える。
  31. 聾学校時代の教育に始まって、地域社会では就労先での出来事など、聴者に従属させられ続けてきた。日本社会というのは、全てが聴者優位にできているのだ。したがって、弁護士までもが聴者側に立ってしまう。
  32. 生活の全てが場当たり的でした
  33. 他人に反発することなど、これまで一度としてなかったらしい。
  34. 怒られることが多くて、いつもしょんぼりしていました。ですから、あまり感情の変化は見られなかったです。
  35. 異性にメールアドレスを聞くという行為は、一般的には下心があると理解されることが多い。
  36. 言語世界の有り様が違うと、感受性や倫理観さえも違ってくるのではないか。
  37. 知的レベルを疑うわけではないが、裁判を受けるにも、社会生活を送る上でも、大きなハンディキャップを有していると思わざるを得ない。しかし、その犯人を作り出しているのは、実は聴者社会ではないかとも感じる。
  38. 聴者が作り出した教育の中で、ろうあ者たちは知識や常識を得る機会をどんどん削ぎ落とされている。
  39. 聴者社会では話をする時、相手を傷つけないようにとか、失礼に当たらないようにとか種々考えながら、遠回しに表現する方が好まれるが、デフ・コミュニティでは、それは逆に失礼にあたる。敬語も敬称もない。そこは、上下関係や男女関係などのこだわりがない社会だと言う。
  40. 聾唖者が聴者と口話によって会話することの困難さを、「防音装置付きのガラスの部屋の中に入って、その外にいる外国人が話している外国語を理解しようとするようなもの」と例えてくれた。
  41. 出勤早々、同僚の1人から、仕事の内容について叱責される。それに対して、言い分があったが、うまく伝えることができない。思い介せば、いつもこうしたことの繰り返しだった。これ以上耐えられないと思って、とっさに会社を辞めると言う意味のジェスチャーをしてしまう。もちろんそれは本心ではなかった。だが、それを撤回する冷静さも失っていたし、つい弾みで行ってしまっただけと言うような言葉を伝える手段がない。もう、どうでもよくなっていた。そして結局は、会社側が退職手続きを進めることになる。慰留する人間は、誰1人としていなかった。
  42. 彼は性格的には極めて温厚な人間だった。周りの聴者との間で、よほど腹にすえかねることがあったに違いない。
  43. 日本の行政は障害者への給付金を算定するにあたって、障害程度を日常生活動作という尺度でしか判断していないのだ。逆に、1人で食事や入浴ができれば、たとえ日常的に問題行動起こしていても、それに給付金が加算される事は無い。こうした背景があり、結局、福祉施設にとってはただ厄介なだけで、施設の所のメリットは何もないと言うことになるわけだ。
  44. 人類における知的障害者出生率は、全体の2%から3%と言われている。
  45. 結局、知的障害者の中でもその8割以上占めると言われる軽度の知的障害者には前述したような理由から、福祉の支援がほとんど行き届いていない。したがって、障害が軽度の場合は、あえて障害者手帳を取得しないケースも多くなる。現場では軽度知的障害者の手帳を所持所持していても、あまりプラスはなく、単なるレッテル張り終わってしまうからだ。こうして、数多くの障害者が生まれながらの障害を抱えていながらも、福祉と接点を持つことなく生きているのだ。もともと、社会や他人との折り合いをつけることが不得意な人たちだ。だんだんと社会の中での居場所を失い、それに貧困やネグレクトといったことを悪条件が重なれば、すぐに刑務所に入るようなことになってしまう。